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諸行無常

諸行無常
我々の経験するすべてのもので常住不変のものはひとつもない。自然界も人間界も、肉体も精神も、全てのものは刻々と変化していくものである。

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ヘーラクレイトス
ギリシャの哲学者 
「万物は流転する。」は有名。
現代の自然学もまたこの精神の上に成り立っている。この無常観によって「無常なるが故に苦なり」という自己反省を促してものに対する執着の心、貪欲の心を捨てしめ、さらに社会人生に対する正しい認識と、寸暇を惜しんで精進・努力を決心することが肝心である。
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by eudips | 2007-05-31 22:13

信徒会館 着工

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信徒会館の工事がようやく始まりました。
7月の下旬には上棟式ができる予定であります。
このところ天気が良いので、基礎工事などには都合がよろしいですな。ありがたいことです。これも神仏の恵かと思います。
 今までは粗末な建物しかなくて、信徒の皆様にはご迷惑をおかけしたことかと思いますが、来年の四月には完成の予定です。沢山のご寄付を賜った皆様には厚く御礼申し上げます。
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by eudips | 2007-05-30 06:15

三法印

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三法印
一切皆苦
諸行無常
諸法無我
のみっつである。

この三印に「涅槃寂静」を加えて 四法印、さらに「一切空法」を加えて、五法印とする場合もある。
しかし、普通に三法印として仏教の特異性を示す場合には一切皆苦は無常・無我の中に含めて、
第一 諸行無常印

第二 諸法無我印

第三 涅槃寂静印
とする。

次回より詳しくみていきたい。
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by eudips | 2007-05-28 00:31

山伏体験修行 群馬県三重院

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これから徹夜でマントラ(念珠法)を行う 覚明。念珠法というのは密教でよく行われる修行方法です。念珠=数珠を使って、真言の回数を数えます。決まったフォームと作法があり、それに沿って修行を修します。三重院ではだいたい徹夜で不動真言を一万回唱える行を行っています。

三重院では女性の修行者も受け付けています。
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by eudips | 2007-05-26 03:55

四苦八苦

四苦および八苦
四苦とは




である。
生とは生まれいずること、または 人生そのものを苦と見たものである。
老、病、死は生物である人間として避けることのできない外的条件である。

八苦とはこの四苦の他に
愛別離苦 親や子と死別するというように、愛するものと別れなければならない苦しみである。

怨憎会苦 憎しみ会うものと一緒にいなければならない苦しみ

求不得苦 欲求しても手にいれることができない苦しみ

伍蘊盛苦 心身が成長するに従って生ずる苦。したがってこの苦は前出の七苦を総括する。
 この四つは精神的な苦を表したものである。
その他二苦、七苦、十一苦、十八苦ないし百八苦にいたるまで諸経論にさまざまな苦の状態を示す。
大事なポイントは仏教の教えにおいては、人生そのものが苦であり、生きて行くこと自体が苦の連続であるということである。
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by eudips | 2007-05-26 00:33

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人の苦しみを無くすために仏教というものは 存在する。
お葬式のためのみにあるわけではない。

苦しみと一言でいってもいろいろある。
三苦というのがある。
三苦とは苦苦、懐苦、行苦のことである。

苦苦とは寒熱も飢餓、痛不快など肉体的な苦痛のことである。なんびとにも共通な原理的苦痛である。病も傷、辛労、空腹などの痛みや苦しみは普通の神経を持つものには誰にも苦として感じられるから、客観的事実であるといえる。

懐苦とは 破壊滅亡によって感じられる精神的苦悩である。親しい人の死などによって感じるものがその代表的なものである。

 行苦とは現象世界全てが無常であり苦であるということである。ここで「行」というのは修行のことではなく、存在するすべてのものEVERYTHINGとの意味である。全ての存在は必ず原因、条件によって成り立っている限り、またその原因や条件が永遠のものではないので変化は必然である。形あるものはいつか壊れるし、生き物は必ず変化する。すなわち老いる。
 こういった諸々の変化に恐れおののくのが行苦である。修行を恐れるという意味ではない

次は 別の分け方 四苦八苦について述べよう。
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by eudips | 2007-05-25 12:39

苦諦2四門遊出

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四門遊出
釈尊が太子として王宮に暮らしていた時、或るとき城の東門から外に出て公園に遊びそこで老人を見て老いの苦しみを知り、また或る日南の門から出て病人に会い肉体の苦痛を知り、また或る日 西の門から出て死人に会って生命の無常を知り、また或る日北の門より出てバラモン(僧侶)を見て聖者の道を学んで苦というものから出離すべきだ、ということを望んだ、という「四門遊出の」仏伝物語は、釈尊の出家の動機が人生の避けることのできない無常苦に由来するものであることをものがたっている。したがって仏教の根本的立場が人生苦を本質的にに把握するところにあることを示している。一般人の欲求する人生の快楽を否定するだけでなく、生そのものを苦として根本的に否定するものである。

 ところで仏教の言う人生観が主観的なものではなく、人生の真実の姿を反省したものであり。もともと苦とか楽というのも個人的、感覚的なものであって心理的なものである。一切皆苦という命題が確かに本質的なものであるということの説明が必要である。
以後説明をしていく。
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by eudips | 2007-05-23 19:17

苦諦

苦諦とは、四諦の教説の最初にあたって、おごそかな人生の真実の姿を示したものである。「人生は苦である。」とは釈尊の人生観の根本命題であった。
 人生観という言葉は、その用法が漠然としており、意味するところはまちまちである。人間の日常の生活を左右している信念的なもの、あるいは性格的なものを意味する一般的なものから、人生の目的や意義、人間のありかたなどについての哲学的な考察に至るまで、さまざまなものを含有している。したがって人生観ということについて厳密な規定を与えることは殆ど不可能である。しかし、しいて言うならそれは人間の行為を決定する判断の基礎となり、それによって決意がなされるような根本的な立場を意味する。ということができるだろう。しかも行為を決定づける判断の基礎となるものは、人生、世界の全体的、統一的な価値判断の基礎をかたちづくるのである。
 したがって「人生は苦なり」という人生観の「苦」とは単なる生理的な苦しみや心理的な悩みといった感覚的苦を意味するだけでなく、現実の人間の生存自体すべて苦であり、いかなる者といえども人生を享受するからには常に終始しなければならない本質的な生そのものの苦、すなわち生存苦を言うのである。欲望を有し執着を持つということが生存をならしめ、行為を決定づけているからにはねその欲望を満足せしめるか否かが人生の価値決定の最も手近な標準となる。しかもそれは満足せしめ得ないということが「一切皆苦」という仏教の人生観なのである。永遠であり、安定すべき人生を欲する人間にとって自己の生をも含めた一切の存在が流転し生滅していることをはっきりと認識すべきである。したがって、一切皆苦は決して主観的個人的な感情を示すのではなく、人生を本質的に把握する普遍的なものである。ある意味では人生の否定であるとも言える。もちろんただの否定ではなく真実の人生を開顕し尊重するための前提であることは言うまでもない。

苦諦その壱以上。
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by eudips | 2007-05-22 23:54

四諦説

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四諦説とは仏教の根本思想である。

苦諦(くたい)

集諦(じったい)

滅諦(めったい)

道諦(どうたい)

の四つである。
 釈尊が初転法輪の時に説かれたものである。

釈尊の悟りの内容を最もよく整備し最も優れた説法である。

次回より詳しく触れて行くことにする。
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by eudips | 2007-05-21 23:07

行列

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本山派聖護院は行列がきちんとしていることで有名である。
写真は4月6日に行われた火渡りの際の行列の写真である。

山伏の行列は刀、斧、弓など持っていることもあり、ものものしいが、まあ別に武装集団ではない。
むかしから伝わっていることであり、山で暮らすに必要なものと捉えればよいであろう。それにしても山伏のアイテムは少なくない。最近はうちもいろいろなアイテムが増えて管理が大変である。信者さんからいただいた大錫杖がほこらしい。なかなか貴重なもので見栄えもする。ありがたいことである。
 現在使用している斧は木製のダミーなのでゆくゆくは本物のまさかりを手に入れたいと思っている。
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by eudips | 2007-05-20 22:57